おかずとは? 主食とともに食べる料理の事。副食、菜や総菜とも言います。主に日常的に食べる料理のことを指します。 土地独自の野菜や食文化により、その土地独自の料理文化を持っているところが多く、たとえば、京都のおばんざいというのは、京言葉で「日常のおかず」のことをいいます。海に遠い盆地であり、かつ古代の首都である京都では、長い歴史を背景に漬け物、乾物、精進料理を取り入れたおかずが発展し、よそとは違ったものがあります。 そのほかにも大陸との行き来の歴史を持つ福岡、長崎や、琉球文化の影響を残す沖縄などにも独自の日常の惣菜、郷土料理が多く見受けられます。 おかずは数 おかずの語源は漢字の「お数」と言われています。主食の周りに添えられている菜を「おめぐり」することから「おかず」と呼ばれてきたようです。 「おめぐり」するくらいですから1品くらいでは「おかず」とはいえないのでしょう。しかし実際は鎌倉時代以前、調理法も発展しておらず「おかず」とはいえないような食事だったようで、一汁一菜と呼ばれる食事をとるようになってきたのは、鎌倉時代以降味噌や醤油で「炒める」「揚げる」といった新しい調理法が広がってきた以降のことだと言われています。この頃の寺院の食事は基本的には「一汁一菜」でしたが、特別な日や来客時には「一汁三菜」となりました。また、料理数が増えると、「二の膳」「三の膳」が追加されました。これが安土桃山時代以降会席料理に発展したと言われています。 おかず考 実際の「おかず」の歴史の大きな発展の時代は、江戸期以降です。 江戸時代に町文化の発展とともに鰹節の「だし」という調理法が京・大阪の一流料亭で広まりました。 しかし「だし」は秘伝とされ、鰹節は必ず店の主人が削るものとして、板前には削らせなかった時代もあったようです。 煮干しは、鰹節だしの有用性が広く知られだした江戸中期前後に、高価な鰹節の代用品として使われるようになりました。煮干しは「だし」を取る目的だけに作られたものです。 江戸以前から「貝」や「ひもの」「昆布」などの旨味は認識されていたようですが、江戸期以前はあくまでも食べるための物で「だし」をとるだけの物では無かったようです。 この時期以降「グルタミン酸」「イノシン酸」の相乗効果の旨味料理が発展した礎ともいえます。 和洋中 江戸時代が終わり、明治政府は、欧米の制度や文化を積極的にとりいれたので、西洋の料理や食品、食習慣が政府や上流社会でとりいれられました。やがて、これが一般庶民の間にも浸透していきました。 また、仏教の肉食禁止の戒律からも開放され、人々はおいしくて栄養のある肉類を積極的に「おかず」として取り入れるようになりました。 こうして「おかず」のバリエーションが飛躍的に広がったのです。そして現在、本来日本の「おかず」としてあった煮物・焼き魚、刺身、あつもの(味噌汁や吸い物)以外にも、洋・中・韓・その他エスニック料理等様々な料理が「おかず」として食べられるようになりました。 すべてにいえることは基本的に @「主食」を美味しく食べるための「副食」であるということ。 A「旨味」を意識していること B手早く、少なくとも一汁一菜以上の「おめぐり」出来ること。 これが「男の料理学」でのおかずの定義とします。 そのためには 各国料理のだし
を日常の「家庭のおかず」としてフォンや湯の様なだしをとるのは難しい。 ということで 「旨味調味料」(コンソメ・ダシの素等)を必要最低限の量で使うことを推奨します。 |